「もっと個性をだしていこう」とよく言われる。私の個性はどこにいったのだろう?
私、大学生。22歳。制服は、着ない。 中学・高校の6年間、着させられていた制服はどこにいったのだろう。 なぜあのように生徒全員が全員、同じ衣服を身に纏っていたのか。 制服を着ない今、考えてみると非常に不思議である。
「制服の目的は組織の序列を明確に区別すること、 また同じ服を着ている者同士の連帯感を強めること」とある。 私たちは強制的に序列をつけられ、謎の連帯感を持たされていたのだ。 重要なのは”強制的”にというワード。 自己表現の最も身近なツールである衣服を強制的にその他大勢の人と全く同じものにされる。 つまりそれは、制服が個性を制していることを意味している。 制服は制服ではない。征服だ。 征服=武力・軍事力によって敵を負かして支配下におくこと。 私は学校という組織に、制服という武力によって、敵として支配されていた。 人間として多感な時期に、個性を出すことを許されなかった。 それでも制服の中にパーカーを着てフードを外に出したりして支配下でも個性を出そうとはした。 しかし、学校の先生は常に目を光らせ、少しでも規律を乱す輩を許さなかった。
どうやらここに個性を忘れてきたようだ。
一方で制服にはある種の安心感もある。実際に大学生になって制服がなくなると、 何を着ていけばよいのかわからなくなることもあった。 就職活動のスーツがその最たる例だろう。 「服装自由=スーツ」 結局、いつになっても個性は押さえつけられるのかもしれない。
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